文芸処・椋岡屋 作品集
★独りぼっち
〜第1章〜
 春の訪れを感じさせる暖かで柔らかな陽射しが一転して、今にも泣き出しそうな、 重く暗い鉛色の空で覆われると、ひとひら、ふたひらと白い雪の花びらが舞い降り てきた。兼田浩は雪振る空を見上げると、深い溜息をついた。
 多摩川高速鉄道多摩川乗務区で主任車掌を勤める浩は、忌引休暇が明けて、一週間 ぶりの乗務に就くところだった。
 一週間前、最愛なる妻をガンで亡くし、葬儀や法要で慌ただしく一週間が過ぎ、 妻の死を悲しむ余裕が無かったのだが、出勤して、同僚や上司からお悔やみの言葉を 改めて掛けられる事で、妻の死が現実であり、現実と認識する事で、悲しみが浩の 心に重くのしかかってきた。
(俺の悲しみの色と同じ空だな)
 浩は見上げた空の色を見て、心の中で呟くと、ホームの所定位置へ歩き出した。
 平常心でいられる自信は全く無かった。同僚達からのお悔やみの言葉で、心は 一層落ち込んでいるのに、妻と同年代の女性が幸せそうにしているのを目にする だけで、涙が出そうになる。しかし、一度乗務が始まると、私情を挟む訳には いかない。乗客の安全を駅員から運転士へ引き継ぐ重要な役割に、うっかりも、 呆然もあってはならないのだ。
 浩は心を鬼にして、前乗務の車掌から引き継ぎを受けた。
「なごり雪かぁ。恭子さんの愛のかけらかもしれんな」
 前乗務の同期の同僚がそう声を掛けてきた。言われてみれば、妻恭子との 出会いも、なごり雪の降る日だった……昔のことを思い出した事で、恭子に 笑われているような気がした。心に踏ん切りをつけると、
「そうかもしれんな」
とだけ応えて、乗務員室に入った。
 各所の点検を行い、発車時刻になると、安全を確認しドアを閉める。今まで 当たり前のようにしてきた事が、重荷に感じた。
(今までこんな事無かったのに)
 状態監視を終えると、再び溜息をついた。溜息ついたところで、恭子が生きて 帰ってくる訳ではないのに、事ある度に溜息をつく。浩は、運転席の窓ガラスに 映る悲しみ色に染まった自分の姿を見て、往生際悪いなと感じた。
 それでも、職人魂なのか、客扱いを重ねるうちに、悲しみを乗り切り、一人の 人間から車掌としてのプロ意識が芽生えた。そして、休憩に入る頃には、いつもの 主任車掌に戻っていた。
 悲しみ全てを吹っ切ったと言えば嘘になるが、詰所などでお悔やみの言葉を 掛けられても、気丈夫に応える事は出来るようになった。
 乗務をこなしているうちに、なごり雪はやみ、夜空は雲が切れ、星が輝いていた。
(恭子、俺一人でも、なんとか乗務を終えそうだよ)
 その日最後の乗務で星空を見つめながら、浩はそう思うと、気合いを入れて残りの 乗務を続けた。