文芸処・椋岡屋

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作品集

掲載日:2013年02月01日

★いつの日にか

第1章

 冬空の移ろいに気付かなくなって、どれぐらいになるのだろう。室内の光で反射する窓の外は1ヶ月前に比べると、夕暮れの西の空が幾分明るくなっている。 外を見ることで季節の移ろいを感じる事を思いながら、河合志穂はブラインドを下ろし、自分の席に戻る。

 多摩川高速鉄道の車両部車両課の仕事を任されて早8年。その日の仕事の終わりである、今日の作業車両の確認と承認を行い、翌日ある会議の資料をまとめれば、 トラブルがない限り帰宅する事が出来る。もっとも、定時に上がれるのも、月が変わったためだが。

 会議の資料をまとめていると、机の上に置いてた携帯電話から、軽快な音楽が流れる。一瞬、恥ずかしい思いになるが、マナーモードにして机を振動させ、 突然会話を始めて周囲を驚かすよりは、音によるクッションを置いた方が良いだろう……勝手に解釈して、電話着信時だけ鳴らすように設定している。

 掛けてきた相手は、高校時代からの親友で、同じ会社で運転士をしている小杉希望のぞみだった。 彼女は自分が電話に出ると、

「志穂、今晩空いているよね?」

有無を言わせずに問いかける。

「締めの処理は昨日終わったから、今日は空いている」

「夜会に来ない?」

 夜会って何? 何の事か理解出来ていない志穂の気配を感じたのだろう、

「中島みゆきさんの舞台なんだけどね、チケットが1枚余っているの。凄く感動するから、どう?」

希望が補足する。

 希望との付き合いは長く、彼女が近年、中島みゆきを好んで聴いている事は薄々感じていたが、舞台を観るほど熱心だとは思えなかった。 そんな彼女が自身のダンナではなくて、自分に話を振ってきたのか考えても分からないが、タイトルの「24時着00時発」に惹かれて、二つ返事で行く事を告げた。

「開場が19時15分だから、19時に青山劇場の前に来て。チケットはその時に渡すから」

「渡すって、チケット代はいくらなのよ」

「お金はいい。内海君の形見だから」

 希望の言葉に呆然とする。内海とは同期入社で、彼は本牧駅務区で運輸担当をしていたが、不慮の事故で先日亡くなり、葬儀も一昨日にあったばかりだ。 喪も明けないうちに舞台とは、常識的に考えてどうなのか……と思ったが、希望が持っているチケットは、本来彼が観るためのチケットだろうから、 天国の彼に見せたいのだろう。

 そんな大切なチケットで格別ファンでもない自分が観てもいいのだろうか、と思いながらも、待ち合わせの場所と時刻を再確認して、電話を切り、 そのまま携帯サイトで青山劇場の場所を調べる。渋谷と表参道の真ん中辺り。微妙な位置だと思いながら、志穂は、残りの仕事を手早く片付ける。

 定時に上がり、コーヒーショップで夕食を取ると、急ぎ気味に青山劇場に向かう。劇場に着くと、劇場正面の四本の柱には夜会の広告が全面に貼られており、 携帯電話のカメラで撮影をする人が何名かいる。志穂も話のタネにと、撮影をする。その背後から肩にのし掛かる様に、希望が現れる。

「もぉ、びっくりするじゃないの」

「あまりにも熱心に撮っているから、普通に現れたらおもしろくないな、と思って」

 驚く志穂に、希望は笑って言い訳を言う。

「はい、チケット。私の隣だから」

 希望は鞄の中からチケットを取り出し、志穂に渡す。

「なんか、チケット代も払わずに、申し訳ないね」

「まぁ、こればかりは仕方ないからね。そうそう、今日は連れがいるから紹介するね」

 志穂が驚く間もなく、希望は同行の駅員二人を志穂に紹介する。いずれも中島みゆきの長年のファンらしいが、どうしたら、本社の人間が、 運転士と駅員と共に舞台を観るのか疑問に思う。それに加えて、中島みゆきのファンでもなく、観劇を趣味としない自分が、青山劇場という場にいる事が、 不自然に思えてならない。神は一体自分をどうしようとするのだろう。

 19時15分の開場に備えて、入場待ちの列に並ぶ。隣では、当日券の整理券を配っている。なんでも、どんな都合の人にでも夜会を観て頂きたいという、 中島みゆき本人の意向があるらしい。

 時間になり、入場待ちの列が動き出す。狭いエントランスは人でいっぱいになり、すぐに客席の方へと向かう。希望たちは開場前にパンフレットやグッズを買っており、 今日の舞台にかなり力を入れ込んでいるのが良く分かる。

 客席の中程、左右の動きを見渡すには絶好の位置で、開演までの間に、志穂は今日の演目について希望からレクチャーを受ける。前回の再演ではあるが、 中島みゆき自身が伝えきれなかった事を伝えるために、かなり手を入れたと言う。どこがどう変わったのかは、希望は知っているようだが、 今知ると楽しみがなくなりそうなので、聞くのをやめた。


 20時。照明が全て落ちて、舞台天井に星空が浮かび、彼方から汽笛が聞こえ、やがて列車が通り過ぎていく。踏切の音、列車が刻むリズム。 この物語が鉄道を意識したものである事が、容易に分かる。

 曲のイントロが流れ、程なくして、黒のロングコートに身を包んだ中島みゆき……KENJIが現れる。もっとも、彼女の出で立ちがKENJIである事が分かったのは、 舞台が終わってからだが。

 抑揚のない低い声で淡々と朗読する言葉は、雄大な宇宙の中に、ゴールはスタートを兼ねている。サヨナラ・コンニチハ。終わりと始めの異なるもの同士が 対に並べられている事に、この舞台が掛かっている事を、志穂は静かに感じる。

 やがて、ステージの上に一台のミシンと台が置かれ、主人公である川辺アカリがミシン掛けを始める。セットは至ってシンプルで、基本的に歌によって進められ、 歌うのは中島みゆき。真摯な演技をしながら、歌をこなす。その歌唱力と演技、表現力はとても五十代とは思えない。さらに、天下のアーティストが 床に倒れ込んで寝ているなんて、普通に考えたらあり得ない。それだけでも、観に来た価値はあるだろう。

 その間にもテンポ良く舞台は進行する。過労で生死を彷徨い遊離したアカリは、海外旅行の当選に心を躍らせ、楽しむが、その海外旅行は仕組まれたもの。 夫は覚えのない殺人事件の犯人となり死刑判決。そしてアカリは法廷侮辱の罪で国外退去。辿り着いた先は、行き止まりの廃線の駅。どこから現れたのか、 半天を来た番頭が無国籍風のホテルに案内したところで、第1幕終了。

 志穂はこの時点で早くも少し混乱するが、希望に言わせれば、第1幕は第2幕への伏線に過ぎないらしい。この後何が起きるのか。 気になる志穂はトイレに行くついでに、パンフレットを購入する。買わなければ1週間もしないうちに内容を忘れるだろう。それでも、 あらすじの部分は軽く読んだに過ぎず、キャストやミュージシャンの紹介部分を中心に読む。

 休憩時間が終わると、水底にいるような水の沸き上がる音で、第2幕が始まる。そこは複雑に入り組んだ階段でなるホテル。上れば降りて、降りたら上る。 アカリがやっとの思いでレセプションのデスクに辿り着き、電話を掛けた先でいわれたのは「アカリは意識不明で入院している」。駅に戻る事にしたアカリは、 再びねじれた階段で部屋に戻るうちに、現と影が入れ替わる。

 カゲになった中島みゆきが辿り着いたのは、廃線の駅でもなく、無国籍風のホテルでもなく、堰き止められた荒廃した水底。

「なんでこんな所に列車が着いてしまったんだ!」

 車掌の悲痛な叫びが響き渡る。車掌は乗客の魚たちに切符を確認させる。知らずに乗客となっていたカゲだけが、「ふるさとになんか帰りたくないわ」と言い放つ。 車掌には乗客を目的地まで無事に運ぶ任務がある。カゲが持つ切符が行き先を狂わせたと、車掌はカゲを激しく非難する。

 しかし、曲がりくねった水の線路は、実は人生そのものであり、絶えず人はもう一つの人生を追い求めながら蛇行の人生の線路を歩むと、 アカリが指摘し唯一の真っ直ぐの部分で線路が入れ替わり、人生も入れ替わる事をカゲが気付く。

 隣に座っている希望は、ハンカチを手に、頬に伝わる涙を拭いている。アカリとカゲの言葉に志穂は自分の少女時代から今に至るまでを思い出す。