★線路よ輝け、未来へ
勉強会
翌日、永田は会社帰りにCDショップに行き、広崎から教わったCD2枚を
購入した。CD購入の話はトロンボーンパートリーダー、金子にも伝わっており、
どのみち聴くなら三人で……広崎の提案で、永田の家に広崎と金子が集まった。
永田は「なんで俺んちだよ」と愚痴はこぼしていたが、楽団内でNHKと呼ばれて
いる中で、一人暮らしの永田の家が、彼らの溜まり場となっている事に、半分諦めていた。
「広崎と金子はイメージ作れた?」
三人分のコーヒーを入れながら、永田は尋ねた。
「まだ。そう言う永田はどうなのよ」
「俺も全然。当時の記憶が2〜3年で消えかかっていた事に焦ったぐらい」
広崎の愚問に、永田は溜息混じりに答えた。
「永田もか。実は俺も思い出せなくて、困っていたところ」
金子も、永田に同調する様に応えた。三人とも横浜生まれの横浜育ち。
関西に知人友人がいないため、阪神淡路大震災の事は、彼方向こうまで消えかかって
いた事を認識している。だからこそ、平日であるにも拘わらず、永田の家に
集まったのかもしれない。
「『おほなゐ』の意味、分かる?」
「それなら、K奏和奏友会のブックレットに書いてある」
広崎の答えに、永田はCDケースからブックレットを取り出し、解説を見た。
「大地震を表す日本の古語ねぇ」
永田はそう言ったきり、黙ってしまった。サブタイトルだけで十分重いのに、
自分達が経験した事のない大地震を、音楽で表現する事に、重い責任を感じた。
「とりあえず、聴くか」
金子の言葉に我に返った永田は、CDをCDデッキに入れて、再生ボタンを押した。
コンクールの演奏には無かった、朝を活気づけるテレビやラジオの音楽に、
美化されていない現実が描写されている事に胸をなで下ろした反面、まだ悲しみ
すらわかない人々、荒廃した街並みの描写に胸を痛めた。Requiemの部分は三人とも、
押し黙って、流れる音楽に耳を傾けた。そして、力強い復興のテーマ、
美しく奏でられる祈りの音楽に、「オマージュ」に込められた、犠牲者への
哀悼の意、そして地震という太古の昔からの自然界に畏れ、それに抗う事の
出来ない人間の営みを謳う意味を感じ取った。
「おほなゐ」の演奏が終わると、三人は揃って溜息をついた。
「横浜の俺たちに出来るか?」
「やれると思ったから、里美先生が選んだのだろ」
永田がぽつりとこぼすと、広崎もぽつりと呟いた。演奏技術では間違いなく
出来ると踏んだが、この曲に込められたメッセージを伝えるのに、勉強なし
では演奏できない。永田はCDのブックレットに手を伸ばした。
「ふーん、兵庫のS学園の先生とのメールから作曲のイメージを得たんだ」
永田はパラパラとページを捲りながら、ざっと解説に目を通した。
「どれ、見せて」
金子も気になったのか、永田からブックレットを受け取ると、解説を読んだ。
「S学園の吹奏楽部のサイトに、天野先生とのメールのやりとりが載って
いるって。永田、パソコン見ていい?」
「そんなのあった? 俺も見る」
永田は立ち上がると、ノートパソコンを持ってきて、テーブルの上に置き、
パソコンを立ち上げた。
「アドレス見せて」
永田は再びブックレットを手にすると、金子が指差したサイトのアドレスを、
インターネットブラウザに打ち込んだ。
「この"研究5"というのがそれか」
三人はパソコンの前に並んで、「おほなゐ」の研究ページを熱心に見つめた。
ページには、S学園の顧問が実際に体験した生々しい記憶が記されたメールを始め、
第二楽章の作曲の基となったメールが掲載されていた。
「スピードを出さず、ゆっくりゆっくりと徐行する電車は、まるで住んでいる
人々や亡くなった人々に祈りを捧げるかの様でした」
「数少ない乗客は誰一人声を出さず、静まり返っていました。乗客も身も知らずの
人に対して喪に服しているという雰囲気でした」
「言葉を失う、言うべき言葉がみつからない、という表現を実感した時だと思います。
先生の曲は、電車が祈りを捧げて走った様に、音符の一つ一つに祈りの気持ちが
込められている事を望みます……かぁ」
永田、広崎、金子は、掲載されているメールの要所を順に読み上げた。
メールの引用を読んだあと、改めて「おほなゐ」を通して聴いた。
「なるほどね。第二楽章が全体的にスローテンポなのは、悲しみすらわかない
人々の気持ちと、祈りを捧げる様にゆっくり走る電車を表現しているからだね」
「そうだろうな。愛する人、愛する街が一瞬のうちになくなり、ただ立ち竦む
しか出来ない状態、そして喪に服する思いで電車に乗っている人々を的確に
捉えて、表現しているね」
永田の言葉に触発されてか、広崎も意見を述べた。
「でもなぁ、俺たち、それを体験した訳ではないから、イメージを作るの、
大変かもしれないな」
金子は真剣な表情でもう一度、S学園吹奏楽部のサイトを見ながら呟いた。
第二楽章の「荒廃、Requiem」が持つ、意味の深さ、重さに、それを的確に
表現出来るのか……金子の言葉には、その事が濃く滲み出ていた。
「まだ、第二楽章はいいよ。的確に演奏できる資料があるのだから。問題は
第一楽章と第三楽章じゃないか?」
「どういう意味で?」
永田の指摘に、広崎は食いついた。
「団員に、直接阪神淡路大震災を体験したヤツいないだろ? 発生から
来年で9年になるところで、どれだけ当時の資料を集められるか、
非常に怪しいんだぜ。その状態で、どうイメージを作るかだよ」
「それは言えているな。第三楽章の祈りだって、俺らと被災者とでは
違うだろうし」
永田の持論に、金子も同調した。三人はお互いに向き合い、腕を組みながら、
どうすればいいのかそれぞれに考えた。しかし、妙案がないのか、
三人の間には沈黙が漂う。
「とりあえず、手分けして、阪神淡路大震災で検索して、調べるしかないな」
永田は覚悟を決めた様に呟いた。
「そうだな。それぞれ調べて、来週もう一度集まる。それでいいよな」
永田の言葉を受けて、広崎が段取りを決めた。永田も金子も、異論は無かった。
来週、集まる日時を決めて、広崎と金子は永田の家を後にした。
広崎たちが帰った後、永田は再びパソコンの前に座ると、資料探しを始めた。
震災発生から9年。正直、簡単に資料が集まるとは思えなかったが、
それでもインターネットブラウザを検索モードに変えて、検索を始めた。
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