★線路よ輝け、未来へ
合奏
永田は明石からの手記を読むと、瞳に溜まった涙を拭った。明石の手記が、
「おほなゐ」に表現されている気がして、何度も読み返した。激しく揺れる線路、
大火災の街に鳴り響くサイレン。やがて24時間体制で復旧を目指す鉄道会社の人々。
そして、街の復興を祈った明石の気持ち。曲を聴きながら、それらが頭の中を駆けめぐった。
これをパートのメンバーに伝えよう。永田はプリンターを接続すると、
明石の手記、S学園の「おほなゐ」の研究ページを印刷した。会社に持っていく
鞄の中にそれらを入れると、永田は明石に礼のメールを打った。
〈明石さん、こんにちは。永田です。
詳しい手記を送って頂きありがとうございました。
「おほなゐ」を聴いていると、まるで自分が体験したかのように、
明石さんの手記の事が鮮明に思い浮かびます。
早速、パートのメンバーに、明石さんの手記を読んでもらって、
「おほなゐ」の演奏の参考にしたいと思います。
不躾なお願いに答えて頂き、本当にありがとうございました。
また何か分からない点が出てくると思いますが、分かる範囲で構いませんので、
教えて頂けると幸いです〉
メールを送信すると、パソコンを片付け、寝る支度をした。目を閉じると、
線路に向かって襲ってくる炎が一面を覆った。自分が体験した訳ではないのに……
永田は思いながら、眠りについた。
次の練習日に、永田はホルンパートの団員に用意した資料を配り、
目を通す様に指示をした。また、広崎、金子、そして指揮の里美にも、
明石の手記を渡した。誰もが、地震発生時に現場に居合わせた明石の証言に、
息を飲んだ。この証言を無駄にしてはならない。特に里美は強く感じたのか、
団員全員に明石の手記を読ませる様に指示を出し、年明けの合奏練習に備えさせた。
年が明けて初めての合奏練習の日、予告通り「おほなゐ」の合奏が行われた。
合奏前に、阪神淡路大震災で犠牲になった人々に黙祷を捧げた。
合奏は、第一楽章から順に行われた。個人練習をしているとは言えども、
初めての合奏とあって、スローテンポで行われた。
小鳥のさえずり、朝を活気づける音楽。譜面が割と簡単なためか、演奏は
順調に進んだ。永田もテンポに乗りながら譜面を見ていると、
次のフレーズで揺れを感じた。
(何?)
揺れの原因が何か分からないうちに、既に次のフレーズに入り、
S波による激しい揺れのシーンに入っていた。指揮棒を見つつも、
楽譜に目をやり、演奏する団員たち。何度も聴いてはいるが、初めて
演奏する地震発生のシーンは、テンポが遅いこともあって、怖じ気付いた。
やがて、瓦解した街並みのシーンに移り、火災発生のシーンへ。
個人では何度も練習したとは言え、音が重なると、生々しい光景が
映し出される様で、永田はその場から逃げたい思いになった。
第一楽章の演奏が終わると、一斉に溜息が漏れた。阪神淡路大震災を表現する。
ただそれだけの事が、いかに重いものなのか、どの団員も感じている様子だった。
曲の感じを掴むということで、続けて第二楽章の演奏に入った。
荒廃した街の中をゆっくり走る電車。その電車から込められた祈りを感じながら、
丁寧に演奏した。中には、曲の重さに泣き出す団員もいたが、それでも
演奏は続けられた。Requiemを演奏し終えると、練習場内は静まり返った。
指揮の里美も、次の第三楽章を始めるタイミングを見計らっている。
第三楽章は一転して、平和に夜が明けるシーンに引き続いて、力強い
復興のテーマが吹かれ、チャイムとヴィブラフォンが奏でる祈りへの導きの後、
静かに祈りのテーマが吹かれた。祈りは受け継がれ、クライマックスを迎える。
再び静かに、木管楽器で祈りのテーマが吹き継がれ、最後に高らかに
歌い上げて終曲した。
「そして祈り」の部分を感じて欲しい。作曲者の言葉に、永田は演奏が
終わっても、涙腺が緩んでいるのを感じた。演奏しながら泣いた曲なんて、
今まで無かったのに……永田はズボンのポケットからハンカチを取り出した。
全曲通した後は、要所を繰り返し演奏した。特に、朝の音楽から地震が
突き上げる様に襲ってくるシーンは、何度も練習した。その度に練習場は揺れ、
永田は恐怖を感じていた。
休憩を挟んで一時間半。張り詰めた空気の中での合奏練習は終わった。
各係からの連絡事項が伝えられて、その日の練習は終わり、楽器や練習場の
片付けを済ませた。
帰り道、永田は、広崎と金子と共に、近所のファミリーレストランで
遅い夕食を取った。三人の話題は、専ら、今日合奏した感想だった。
「地震が来るシーン、揺れなかった?」
永田は二人に尋ねて同意を得る事で、恐怖感からの脱出を試みようとした。
「揺れた。最初、本当で地震が来たかと思ったけど、みんな冷静に
吹いているから、違うのかと思った」
永田と同じく打楽器に近い位置にいた広崎は、頷きながら答えた。
「お前らなぁ、それをバリバリと打楽器と一緒に吹いていた俺はどうなるんだよ」
納得し合う二人に、トロンボーンでP波到来の部分を吹いていた金子が喰って掛かった。
「まぁまぁ、そう言わずに。本当に怖かったんだから。特に俺の後ろ、打楽器だし」
永田は金子をなだめた。
「あそこまで、露骨に描写する作曲家もいないよね」
「言えている。ましてや、明石さんの手記読んでからの合奏だろ。余計に重さを感じたね」
金子の意見に永田は頷いた。
「でもさぁ、第三楽章の祈り、あんなにあっさり流して良かったのかね」
「多分駄目だと思う。やっぱり被災地外だとあっさりするのかな」
広崎の問いには、金子が答えた。ただ他の団体の演奏を聴いただけでは、
ここまで曲が持つ重さを感じる事はないだろう。永田は、帰ったら、
明石に今日の合奏の様子を報告しようと思いながら、ナイフとフォークを持つ手を進めた。
食事を終えると、三人は次の練習日に再会する事を約束して、それぞれの帰路についた。
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