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掲載日:2013年05月24日

★蒼色の笛

第2章 希望のご意見番

 多摩川高速吹奏楽団、通称社内吹奏楽団の後輩で、同じクラリネットパートかつ、合奏時に隣となる、宮浦誠とは職場でも後輩である。 駅務区時代は、希望のぞみは大森駅務区、宮浦は三田駅務区だったため、練習と本番、 忘年会などの飲み会の時ぐらいしか会わなかったのだが、二人が大森車掌区に同期で配属されてからは、職場の詰所や休憩室、廊下で一緒になることが多く、 その度に吹奏楽話に華を咲かせて、周りから「マニアックな話をしている」と良く言われる。同時に、あれだけつるんでいながら恋愛感情はないのか、 と今でも言われるが、希望としては、「可愛い弟」だ。

「私が車掌区にいたときに、宮浦君から『品川さん』と呼ばれて、違和感バリバリ」

「宮浦君の口から出るのは、『希望指導主任』か『希望先輩』だからなぁ」

 車掌区で同期配属になった以上、他の同僚の手前、宮浦から「職場では『品川さん』と呼びますから、諦めてくださいね」と言われたが、希望が運転士養成に入るなり、 「先輩」の言葉が復活している。

 宮浦が希望のことを懇意にしているのは、利緒としおも分かっており、職場で宮浦の姿を見付けると、 声を掛けては話し込むことが多いらしい。

「彼の読みって鋭いんだよね。そして、物分かりが良いというか、良すぎ。それで随分助けてもらって」

「もしかして、僕とのことも?」

「あなたのこともだけど、奥沢君のときから色々と」

 自分に課せられたものをどうすれば良いのか悩んでいると、狙ったかのように宮浦から連絡があり、その度に、希望は宮浦に悩みを打ち明けてきた。 ことに、小牧の死で課せられたものに対しては、宮浦がいなければ、今も当時の思いのままだろう。宮浦と、 本牧ほんもく駅務区で運輸担当だった内海政樹、 高校時代からの親友で本社車両部の河合志穂。この三人がいたから、激動期を乗り越えることが出来た。強いて宮浦の欠点を挙げれば、時折、 遠慮のない言葉と失言が出ることだが、互いに遠慮のない存在だから、希望も気にしておらず、区内でも突っ込み合戦が繰り広げられる。

「その、突っ込み合戦って何なの?」

「半分以上はお惚気なんだけど、あなたとお付き合いを始めた翌日には、もう突っ込まれた」

 職場では完璧主義になっている希望に、少しでもプライベートのことが表に出ると、宮浦にはすぐにバレる。黙ってもバレるのがオチなら、 真っ先に宮浦に話して惚気ることで、乗務の妨げになる私情を取り除く。宮浦の方は、プライベートを表に出さないため、希望も気付かないことがあり、 突っ込まれた見返りに突っ込み返すことで、初めて知ることが多い。

「憎めないキャラの宮浦君も、事故の当事者になったときは深刻に悩んでいたよ」

「宮浦君の事故って、独り立ちして3ヶ月にならないときだったからな」

 運転士が人身事故に遭ったことによる、精神的な苦痛を減らすのも、指導主任や主任の役目でもある。新人運転士の事故ともなると、 印象が強く、利緒もそのことを覚えていた。

「事故の相手が生存したことで、宮浦君、責任を感じて割り切ることが出来ず、どうしたら閉じた彼女の心を開けるか、と相談を受けて」

「生存ということは、誤ってホームから転落したか何かだっけ」

「自殺目的だったけど、雪で徐行指示が出ていたのと、運転していた車両が1005Fだったから、宮浦君の判断でブレーキのタイミングを早くしたことで、即死を免れて」

 1005Fとは、当時、海岸線の主力車両だった1000系の編成だが、新製時から常用ブレーキの効き目が悪く、運転士の間では評判が非常に悪かった。 ことに希望は、線路見習いの初運転でこの編成に当たって過走をした上に、会社の内部事情に巻き込まれている。その上で、希望は、後に宮浦の妻となる渚の身辺と、 そのことで人間不信になり、身寄りが無い彼女が生きる価値を見いだせなくて、自殺を図ろうとしたことを話す。

「希望、その話はどこから聞いた?」

 いつも穏和な利緖が、今まで見せたことのない険しい表情で希望に問う。

「テレビのワイドショー。私は電車区の休憩室で見ただけで、そこまでしか知らなかったんだけど、宮浦君は中央の休憩室で見ていて、リポーターにアポイント取ったって」

「十年前ならまだしも、今なら確実に内規違反だよ」

 ワイドショーという言葉に、利緖は拍子抜けるが、それでも堅い表情だ。

「私もそれを指摘したんだけど、宮浦君が事故列車の運転士だと分かったら、入院先とか教えてくれたって」

 ワイドショーが一般人のプライバシーを侵害してまで放送したのだから、宮浦に対しても興味本位で話を聞き、その後の取材に有利になるように話を持って行った可能性は高い。

「内規違反を承知の上で、閉じた心を開こうと思ったのだから、宮浦君の熱意は本物なんだろうな」

 利緖の表情が穏和に戻ったことに、希望は胸をなで下ろし、話を続ける。さすがに最初の頃は面会謝絶が続き、宮浦から二度目の相談を受けた時、 渚が置かれている状況を察し、閉じた心を開くきっかけになればとの思いを込めて、三浦綾子氏のエッセイ「道ありき」を託した。一方で、宮浦の心の中に自惚れがあり、 その自惚れを罪と認め、その罪を悔い改めるようにとも教える。

 当時の状況下で、希望の口から宗教的な考えが出て来たことに、利緖は驚くが、希望が通っていた学校、聖ルカ学園がキリスト教主義で、 中学生になるまでは教会学校にも通っていたから、知識としてキリスト教のことを知っており、出る時は出る、と断言する。

「それで、宮浦君は彼女と会えたの?」

 会えたから結婚しているのに……ちょっと考えれば分かることを尋ねる利緖に、思ったことを表に出さないように、更に話を続ける。

「宮浦君が渚さんにエッセイを渡した後に、年始休暇と研修が入ったから1ヶ月後だったかな、ダメ元で病院に行ったら、渚さんの方から受け入れてくれたって」

「渚さんが『道ありき』を読んで心を入れ替えた、ということか」

「そう。あとは病院で行われたクリスマスイブの集いで」

 渚の改心と、宮浦の改心。互いの気持ちを神が応えた。自死を求めた渚は両足切断という十字架を背負ったが、その十字架を軽くするために、 宮浦は渚のリハビリを通して心を通わせ、愛を育む……アンサンブルの練習に遅れ、他のメンバーに文句を言われるぐらいに。

「人を信じることが出来なくなった渚さんが、神様と宮浦君の愛を感じて、結婚する気持ちになったんだな」

「宮浦君が結婚を決意したのは、沢渡さんからのラブレター事件だったけど」

 社内吹奏楽団内での武勇伝となっている、沢渡のラブレター事件は二つあり、一つは小牧に対するもの、もう一つが宮浦に対するものである。宮浦の時は、 アンサンブルコンテストの全国大会出場で札幌に行った際に渡され、クラリネットパートでは、彼女が退団した今でも語られている。ラブレターを受け取った宮浦は、 師匠と希望に相談した上で、渚との結婚を決意し、沢渡に対して、自分が置かれている状況を話して断った。

「相手こそ違えど、同じことを二回もする、ということは、彼女に自信というのがあったのかなぁ」

「私と違って、彼女は容姿端麗だからね」

 希望としては、愛に容姿は関係ないと思っている。吹奏楽団員の注目が沢渡に向いているのを感じて、羨ましいと思ったこともあるが、 高校時代から交友があった奥沢はともかく、吹奏楽団に入ってからの交友でありながら、沢渡よりも自分を愛した小牧にも、愛と容姿は関係ないという考えがあったのは確かだ。

「ラブレターを貰うことで、心の中にいる人を意識するものなのかなぁ。僕はそういう経験がないから、良く分からないけど」

 それとなく呟く利緖に、

「ラブレターでなくても、個人的に貰う手紙で意識することがあるよ。その返事をすぐに出せるかどうかが、ラブレターとラブレター以外の違いじゃない?」

思ったことを希望は口にする。

 希望の言葉に心当たりがあるのか、利緖からは納得の言葉が返ってきたが、更に何かを思い出した様で、ソファから立ち上がり、鞄を持って来る。

「忘れるところだった。今朝、宮浦君の出勤点呼のとき、『希望指導主任に渡して下さい』って、預かってきた物があるんだ」

 宮浦とは先日の練習で会ったばかりなのに、なぜ、今朝の出勤点呼を通してなのか。理解に苦しむ希望に、利緖は事務用封筒を渡す。

「ありがとう、あなた。中身、一体なんだろ」

 封を切って出て来たのは、蒼色のMDとメモ。

「昨日、MDの整理をしていたら、先輩に借りたままのMDが出て来たので、お渡ししますね……って、何のMD?」

 今でも宮浦はMDで音楽を聴いているのか? 疑問を持ちながら、MDのラベルを見る。ちなみに、希望は通勤などの移動時にはメモリープレイヤーを使っているが、 家ではMDで音楽を聴いている。

「吹奏楽コンクール課題曲集。どこに消えたかと思ったら、宮浦君のところだったんだ」

 希望が宮浦に貸したMDとは、歴代の吹奏楽コンクール課題曲を収録したCDをダビングしたもの。移動時に持ち歩いていたのだが、宮浦から、 社内運動会で演奏する行進曲の音源がないかと聞かれ、そのMDを渡したまま、双方ともに忘れていたようだ。Mini Discというぐらいだから、紛れたら最後、 出てくることは稀。引っ越しの時に紛れたのだろうと思い、ダビングし直している。

 MDが見付かったことで安堵している希望を見て、

「昔、それで内海君とやりとりしたよ」

思い出したように利緖が切り出す。