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掲載日:2013年05月24日

★蒼色の笛

第15章 二つの震災

 「おほなゐおーない」の曲名は、正しくは「おほなゐ~1995.1.17 阪神淡路大震災へのオマージュ~」。

 サブタイトルが意味しているように、阪神淡路大震災を風化させないために、陸上自衛隊東部方面音楽隊の当時の隊長、岡野敬三氏が作曲家の天野正道氏に委嘱し、 作曲されたもので、曲名の「おほなゐ」とは大地震を表す日本の古語であり、岡野隊長と隊員たちによって発案された。曲は3楽章によって構成されており、 第1楽章「瓦解」は、夜明け前の平和な光景、活気付けるテレビやラジオの音楽が流れる光景が一転して、大地震によって街が崩れ、やがて火の手があがり、 サイレンを鳴らしながら緊急車両が崩壊した街を往来。科学では防げない自然の力を表現している。第2楽章「荒廃、Requiem 」では、まだ悲しみすら沸き上がらない人々、 荒廃した街並み、犠牲者へのレクイエムを表現し、第3楽章「復興そして祈り」で、ボランティア、公的機関によって復興していく様を表現すると共に、 ほぼ復興したように見えても、震災の爪痕はまだ人々の中に残っている事実、そして未来への祈りを表現している……これである程度は説明できるだろう。

 希望のぞみたちが演奏した時は、鉄道会社の吹奏楽団という性格上、全団員が揃うことも、 時間を取ることも出来ないため、作曲者と被災地にある学校の吹奏楽部顧問とのメールのやり取りを読み、自分たちの記憶の中から引き出したものでイメージして演奏した。

「2002年の時点で、阪神淡路大震災から7年だけど、東京にいるとあまり覚えていないなぁ」

「私も、阪神淡路の日は朝日勤で、7時始業だったから、家を出てすぐ。勤務でテレビを見る回数も限られていたから、家に戻ったときにはある程度情報がまとまっていて。 だから、あまり覚えていなかった」

 「おほなゐ」を演奏しなければ、おそらく、節目の年に「今年で何年になるのか」という気持ちと、「亡くなられた方々のご冥福をお祈りします」の繰り返しになっている。

「実生活に影響がなければ、人間ってそういうものだと思うよ。地震国日本では、地震はいつ起きてもおかしくないから、防災対策をするだけであって」

 利緒としおに言われて、希望は、過去に起きた震災や事件、事故の、その後の報道を思い返す。

 大規模の震災は、毎年特集を組まれて報道され、その報道で震災を振り返り、教訓を生かそうとする。しかし、福知山線脱線事故のような事故だと、業界関係者を除けば、 実生活に影響があるのは、沿線住民や、通勤・通学を含む所用で高い頻度で利用している人、遺族や負傷者ぐらいではなかろうか。

 実際に利用せず、実生活に影響がなければ、同じ近畿圏の人であっても「遠い国の出来事」と捉え、事故発生日のことを「事故記念日」と言った人もいるのだから、 ほとんど影響のない地域では、事故発生日でも見向きもされない。事故から8年経った2013年において報道量が他の年に比べて多いのは、 JR西日本の歴代社長に対する論告求刑が出たから取り上げた、であろう。その論告求刑が出たニュースも反応が少ない。死傷者が少ない災害や事故、 事件の扱いは、説明するまでもない。

 内海が危惧していたことと同じではないか……やるせなさを感じつつも、希望は、社内吹奏楽団が演奏した2年後に、横浜の市民吹奏楽団が「おほなゐ」を演奏することになり、 行きつけの吹奏楽サイトでの掲示板で、その市民吹奏楽団の団員が、管理人を含めた掲示板参加者と意見を交換しているのを読んでいたことを話す。

「その行きつけの吹奏楽サイトって、ちょっと前の話に出たサイトのこと?」

「そのサイト。管理人さんが遭った災害というのが、阪神淡路大震災」

 サイト管理人の話では、地震が発生した時、運転中で、駅を出て程ない距離だったという。輸送指令と連絡が取れない中、車掌と共に乗客を駅まで誘導し、 その日は夜遅くに帰区した。当然、地震により線路や架線などにも被害が出ており、復旧するまでの間、代行バスの乗車待ち列整理もしている。全線復旧したことで、 街の復興を感じていたが、何分、乗務中での被災だったため、同じ行路に当たると、地震発生時のことがフラッシュバックし、乗り越えるためにも、 仕事に打ち込むことで忘れようとした。日常生活において震災のことが過ぎらなくなった頃、「おほなゐ」を聴き、被災時のことが鮮明に蘇ったが、 今まで秘めていたものを表に出すことで、震災で負った心の傷と上手く付き合えるのではないか……その思いで、その市民吹奏楽団の団員に自らの経験を語っている。 もっとも、希望が管理人の経験を知ったのは、後に手記としてサイトにアップされたものを読んでだが。

「乗務中の被災は、PTSDになってもおかしくないからな」

「私もそう思う。そのサイトには、他の人の手記もあるのね」

 高校の時に被災し、心の傷と闘いながら、街の復興を支える思いで鉄道会社に就職した、運転士。同期入社の友人を震災で失った哀しみに負けずに、 避難所間のメッセンジャーをした、地方銀行の行員。そして、避難所で看護のボランティアをした、都内在勤の看護師。いずれも、表には出ない裏側で、 阪神淡路大震災と向き合い、自らの思いを後世に伝えようと思うとともに、人々の心の中から阪神淡路大震災が消えていくことに、憂いを感じて、手記を綴っている。

「2002年だと、希望と付き合う前だから良く分からないけど、コンクールはどこであった?」

「この年は奇跡的に全国大会まで進んで、大阪に行ってきたよ。勤務免除になって、勤務変更のお礼にお土産を渡したんだけど」

「そうだ、委員会の後でお土産を貰ったんだ。大阪ともなると、聴く側には二つの見解がありそうだな」

 場所を聞いてしばらく考えてから、利緖は個人的な意見と前置きして、意見を述べる。一つは、関西以外の人たちの「自分たちは震災を忘れていない」という姿勢を見ることで、 自分たちの励みになる。もう一つは、形はどうあれ、被災してまだ心の傷が癒えていない状態では、阪神淡路大震災をテーマにした曲は聴けない。彼の意見に、 希望は前者は考えていたが、後者は関西で演奏する戸惑いはあったものの、深く考えていなかったことを認める。

「ただね、その関西の人々で、阪神淡路のときに直接被災しなかった人々は、東日本大震災のことを他人事に思っているような気がして」

「今現在のこと?」

 利緖には希望の言葉が意外に思えたらしい。希望は首を横に振り、それは東日本大震災が発生した時から既にあり、身近な人が被災地にいて不安になっている人々がいる中で、 被災地から離れた場ではすぐに自分中心の生活に戻っている人々もおり、人の心が読めない人が多かった……SNSサイトで見ていたことを気落ちしながら話していく。

「でも、それは阪神淡路に限らず、他の震災でも同じではない? リアルタイムで見ていない、という意味では」

「そうなのかもしれないけど……地震が起きたとき、私、明け番で。テレビを通してだけど、リアルタイムで見たのね、街と呼ばれし街が、津波で消える瞬間を」

 濁流という名の津波が街を襲い、全てのものを消し流す……その瞬間を見た上、何度もその瞬間が流れたことでトラウマになり、今でも、 被災直後の街と呼ばれし所を見ることが出来ず、いわゆる特集の類も見ることが出来ない。本当は、災害訓練時にもフラッシュバックしているが、 その苦しみを周りに悟られない様にしてきた。そうでもしないと、災害が発生した時に、乗客を安全に誘導出来ない。

「日中に起きた地震と津波だから、リアルタイムで見た人と、そうでない人の差が出来て、その差が『他人事』と思うかどうかになるんだろうな」

 僅かに静寂の間があったのは、地震発生時、利緖は勤務中で対応に追われて、津波のことまで考えられなかったためだろう。それは利緖に限ったことではなく、 一般的に就業時間内での地震で、情報を満足に入手出来ない上、各鉄道会社で運転再開の目処が立たず、帰宅するだけで精一杯の人ばかりだから、 地震発生直後にテレビを見ることが出来た、希望のような例は少ない。

「それと、東日本のとき、計画停電があったでしょう」

「計画停電は、仕事と家庭の両方で影響を受けたな」

 東日本大震災で、東京電力福島第一原子力発電所の炉心が溶融し、爆発事故も起きたため運転を停止した。東京電力の電気供給量が不足するため、 大口需要者への電気供給を制限し、首都圏の鉄道会社も、終日運休を含めた運転本数削減の影響を受けており、現場にいる希望たちも大きく影響を受けた。

 一方で、ごく一部を除いた東京23区内の経済活動の維持のため、被災地を除く東京23区外では、電気需要抑制で計画停電が実施された。対象地域では、 昼夜問わず3時間程度の停電が毎日の様にあり、公共機関や商業施設、交通信号機も停電の対象となり、日常生活もままならない。そのため、同じ首都圏の中でも、 計画停電地域と計画停電地域外では、不公平感が生じ、計画停電地域に住む希望たちも、不公平感を持ちながら日々の生活を送った。

「最後の方になると、計画停電エリアに関係する人たちは、神経を尖らせていたから、他地域の人から冗談めいたことを言われると、結構堪えたよ」

「繊細な感性を持っている希望は分かるけど、希望以外にもいたの?」

「多かったよ。計画停電エリアのグループ分けを細分化するかどうか、というときが、一番強かったんじゃないかな」

 常日頃インターネットを見ている希望に対し、調べ事をする時に見る程度の利緖との間にも、温度差があるのかもしれない。

「僕たちだって、計画停電エリア外に住んでいたら、電気がない暮らしを送ることがなかったのだから、同じ過ちをしていたかもしれないな」

「そうだね。少なくとも、首都圏においては、計画停電のエリアかどうかで、東日本大震災への意識が分かれたと思う。それでは哀しいんだけどね」

 人は阪神淡路大震災で何を学んだのだろう、とも付け加えて、希望はため息をつく。

「希望は、東日本のときに、ネットで何か書いた?」

 利緖の言葉の真意を図りかねたが、コンクールで「おほなゐ」を演奏した希望なら何かしらアクションを起こしている、と思ってのことだろう、そう解釈した希望は、

「自分からは書いていない。心に負った傷が癒えない状態が続いていたから、語ることが出来なくて」

事実を正直に話す。

 震災で親しい人を亡くしたり、被災した人々が語ることが出来ないのは、物的な被災以上に、心に負った傷が深いため。心の傷が少しでも癒えない状態では、 自ら語ることが出来ず、語れないために「心の被災者」という言葉も、自らの口からは簡単には出ない。自ら語ることが出来るまでそっとして欲しい、 と考えている人々も多くいる。同時に、語ることが出来た時には、特別な言葉はいらないから聴いて欲しい、とも。希望はテレビを通してだったが、 被災者は自らの目で、街と呼ばし街が消え去る瞬間を見ているのだから、心の傷の深さは希望にも伺い知れない。一生心の傷が癒えないまま、 この世を去る人も多いだろう。仮に、阪神淡路大震災で心に傷を負った「心の被災者」ならば、同規模の震災で被災した人々の気持ちを鑑みて、 心情を逆撫でする様なことは言わないのではなかろうか。東日本大震災で本震クラスの余震が続いた時の、関西地区の人々の反応を含めて、希望は思ったことを口にする。

「二日連続で大きな余震があると、普通の人でもナーバスになるから、希望の気持ちは痛いほどに分かる。今の希望の状況では、『おほなゐ』のような曲は吹けないのではない?」

「『おほなゐ』は無理だと思う。聴くことすら出来ないから」

 心に傷を負ったままでは、震災をテーマにした曲、それが復興を願う曲であっても、演奏出来ないかもしれない。それでも、いつかは、真正面から震災と向き合うことが出来て、 真正面から向き合えた時、震災をテーマにした作品を心を込めて演奏出来る。それは明日かもしれないし、3年後かもしれないし、ずっと先かもしれないが、 どれだけ時間が掛かっても、必ず向き合うことが出来る日が来る。希望はそう信じている。

「それは無理する必要は一つもないから。それでなくても、いつも自分の感情を押さえ込んでしまうのに」

「無理はしない。それでも、やっと、自分の気持ちを外に出そうと思えるようになったから」

 その気持ちを出せる相手は、まだ利緖だけかも知れない。

「僕が知らないところで悩んでいたことに気付かなくて、本当にごめんな」

「あなたが謝ることじゃないから、大丈夫。私だって、地震直後にあなたの話を満足に聴くことが出来なかったんだから、謝るのは私の方だよ」

 優しく頭をなでる利緖の心配りに、希望は、彼がその日、日勤だったところが超勤となり、翌朝になってから帰宅したことを思い出し、 自分が負ったトラウマで精一杯だったことを恥じる。

「お互いが譲り合っても仕方がないから、ここは、震災を通して、二人の心の絆をより深めた、ということだな」

「何を格好付けたことをいうんだか」

 キザな利緖を、希望は笑い飛ばす。自分が信じてついて行くのは、利緖であることを改めて感じながら。

「それでね、『おほなゐ』、今までに演奏してきた曲の中で一番難しくて。初めて楽譜を見た一言目が、何? この見るからに黒い楽譜、だったから」

 今まで語ることが出来なかった、全ての心の内を語ったことで、心に踏ん切りがついた希望は、「おほなゐ」の思い出話、というよりは、愚痴を話し出す。

「優遇措置があっても本番まで団員全員が揃わない、ウチの楽団に相応しい曲が他にもあるのに、選曲委員会と指揮者の考える気が知れないって、殆どの団員が口を揃えていた」

「え、希望は選曲に関わっていたんじゃないの?」

 希望が社内吹奏楽団の選曲委員会のメンバーであることを話したのは、結婚記念旅行の時だけだから、利緖の記憶力は半端ではない。もっとも、記憶力が良くなければ、 運転士は務まらないのだが。「おほなゐ」の選曲をした時、小牧との結婚式前で時間が取れず、選曲委員会のメンバーから外してもらった結果がこれ、と話し、

「宮浦君からも、先輩が選曲に関わっていたら『絶対に』反対していますよね、と言われた」

希望は、自分は選曲に一切関与していないことをアピールする。どこまで宮浦が絡んでいるのか、そんな呆れを感じさせる表情で、利緖は苦笑いをしている。