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掲載日:2013年10月06日

★あの大地はどこ~?「ハシドイが咲く頃に~希望ちゃんの結婚記念旅行~」より

 北海道とて、6月になれば木々には緑の葉が重なる。平野を走っていた本州と全く異なる、山林と思わせる場を特急は駆け抜ける。

「ところで、どうして青森から先を山側、と拘ったの?」

 必ず聞かれる問いが、木古内を発車して早々に出て来たことに、

「『はるか、大地へ』という曲があるんだけど、その曲をコンサートで演奏するかどうかで、選曲委員会で論議があったのね。それで、実際のところどうなのかな?  と自分の目で確かめたくて」

多摩川高速鉄道大森電車区で主任として運転士を務める小杉希望のぞみは正直に答える。 その事実は隠す必要はないのだが、おそらく、それだけでは、結婚したばかりの夫で、 同じ大森電車区で指導主任として運転士を務める小杉利緒としおは納得しないだろう。

「どんな論議だったの?」

 案の定、利緖からの詮索が入る。彼が前夫である小牧隆之のことを知っているとはいえ、新婚早々に小牧のことを話すのは自分も嫌だし、 利緖も同じなのは容易に想像出来る。山側に拘った理由を誑かせば良かったのか……一度は思ったが、隠し事をしても、いずれはバレる。ならば、 早い段階で話しておいた方が、これから育む愛がしぼむこともない。

「私が独身のときで、小牧君が絡んでくる話なんだけど、それでも良い?」

 希望は利緖に伺いを立てる。車内には走行中のモーター音のみが聞こえ、やはり、彼の心中は穏やかなものではない、と悟った時、

「良いよ」

一言だけ、利緖は答える。彼の言葉を受けて希望は、社内吹奏楽団で起きた「論議」と言う名の騒動を語り始めた。


    ***


 2000年9月、多摩川高速吹奏楽団の合奏練習を終え、ミーティングの席で、マネージャーの秋津聖志が、翌年5月に開催する定期演奏会の選曲委員会の会議を行うことを告げる。 選曲委員会のメンバーは、秋津を筆頭に、木管楽器代表でクラリネットの品川希望、金管楽器代表でホルンの小牧隆之、打楽器代表の豊岡和彦の4人。招集された面々は、 他の団員が歓談をしている中、早々と楽器をしまい、会議室に向かう。

 会議室に4人が揃ったところで、

「第1部は『海』をテーマにした曲で構成しているけど、今年はどうする?」

秋津が話を切り出す。海に拘っているのは、多摩川高速鉄道海岸線をイメージしてのことで、それ以外の他意はない。

「『海』も良いですが、そろそろネタ切れの感じがしますが」

「今年は何か違うことがしたいねぇ。海以外に何かある?」

 豊岡の意見に、秋津も乗り気である。

「『大地』をテーマにする、というのはどうですか」

 最初に提案したのは小牧だ。理由を尋ねられた小牧は、単純に「海」が続いたから「陸地モノ」を演奏したい、と答える。

「『大地』って素敵ですよね。でも、そんな単純な理由で良いんですか?」

 品川の突っ込みに、心配はいらないと秋津は交わし、3人に「大地」に関する曲を上げさせる。「グランドキャニオン」「遙かなる大地へのテーマ」「風紋」 「砂丘の曙」「サンライズ・マーチ」「青空の下で」「南の空のトーテンポールII~『リラ』~」「アルヴァマー序曲」……3人は銘々の曲を上げていく。 中には大地と直接関係ないのではないか、という曲もあるが、昨年までも強引に「海」に結びつけた曲があるので、秋津もそんなに気にしていない。

「そういえば、『はるか、大地へ』が上がっていないんですけど」

 小牧が口にした曲は、1996年度吹奏楽コンクールの課題曲。この年の課題曲は別の曲を演奏したため、選曲委員の頭の中から消えていたようだ。

「『はるか、大地へ』かぁ。具体的な場所がありそうで、なさそうだけど、小牧としてはどこの大地を想定している?」

「僕個人の意見ですけど」

 小牧はそう前置きして、タイトルと曲想からして、北海道の道東か道央を想像させる、と秋津に答える。

「今、音源ある?」

 実際に曲を聴いてから話を進めようと思ったのか、秋津は小牧に問う。

「あいにく、今日は持ち合わせていないんですが」

「品川と豊岡は持っている?」

 秋津の問いに、2人とも持っていないと答える。それでなくても練習時間が短く、鉄道会社という性格上、優遇措置があってもメンバーが揃わないウチの楽団に演奏出来るのか。 演奏出来るとしたら、演奏レベルはどの程度なのか。また、演奏時間はどれぐらいなのか……音源があればすぐに解決する質問なのだが、 「はるか、大地へ」を持ち出した小牧へ問いが集中する。小牧が言うには、小編成でも出来るようになっているが、音色の移り変わりに、団員の連携が必要であること、 演奏レベルは初級から中級辺り、演奏時間はテンポ設定にもよるが、6分強から7分弱、ということだ。

「『はるか、大地へ』は前向きに検討するけど、音源がない状態では決めようがないので、他の曲も含めて音源を用意し、それを聴いてから話し合う、ということで良いかい」

 秋津が話をまとめ、小牧たちも合意し、他のステージの選曲を続けた。


 選曲委員会の翌日から、小牧は、管轄下を含む大森駅務区の面々、高校時代の部活関係者に、「はるか、大地へ」から得られるイメージを聞いて回る。「はるか、大地」が強調されたため、 富良野や美瑛を想像する、という答えの中、道南説や中国大陸説も出て来た上、当時の吹奏楽専門誌を持っている高校の同期から、課題曲の解説者は北欧のイメージと捉えている、 とまで言われた。

 どうしたものか……考え込んだ小牧に、多摩高本牧駅で運輸係をしている内海から電話が掛かる。

「ウチの駅に、クラシックと吹奏楽を聴くのが趣味の人間がいるんですけど、一緒に飲みませんか」

 内海の誘いに興味を持った小牧は、二つ返事で快諾し、その日の夜に、横浜の居酒屋で飲む。

 居酒屋で紹介されたのが、多摩高本牧駅駅務係の深沢。元々はクラシックだけを聴いていたが、社内吹奏楽団でホルンを吹く内海の影響を受けて、吹奏楽も聴くようになったと言う。 吹奏楽という繋がりはあるものの、大森駅務区の人間が、本牧駅務区の面子と横浜という場所で飲むのか。小牧には理解出来ないが、 内海と海岸線運転士の品川は本牧でも常につるんでいるから、選曲委員会で上がっている話も、品川から内海に伝わり、深沢を誘った上で、自分を誘ったのだろう。

 酒が入ったところで、小牧は、

「深沢君は、『はるか、大地へ』に対するイメージって、どう捉える?」

ここ数日から懸案している事を深沢に尋ねる。

「僕が聴いた限りでは、『はるか、大地へ』の『へ』に、何か意味が込められていると思いますよ」

 少々考えた深沢が答えた言葉に、道央か道東と答えると思っていた小牧は驚く。

「大地そのものではなくて、大地への旅立ちの曲ではないですか」

 深沢の意見は一理あるが、旅立ちにしてもどこの大地か見当が付かなければ、曲に対するイメージは掴みにくい。

「そうだとすると、深沢君が考える大地とはどこ?」

「高校の卒業旅行で北海道に行ったときに見た感じでは、道南だと思いますね」

 一体どこから道南という場所が出てくるのか。小牧はその根拠を彼に問う。

「中間部のフレーズが『荒大な大地』をイメージさせて、それに合うのが道南ではないか、と思ったのですが」

「荒大な大地は、何も道南とは限らないよね」

 小牧の追及に、深沢も唸る。

「作曲者の上岡さんって、くらしき作陽音大の先生だから、案外、地元の大地かもしれませんよ」

 二人が意見を交わしている間を、内海が口を挟む。

「地元って、岡山ですか? とてもそのように思えませんけど」

 内海の意見に、深沢は異論を唱える。

「もぉ、内海も話を混乱させるな。本当はどこかって、作曲者の上岡さんに聞きたいよ」

 問題の原点が自分である事を棚に上げて、小牧は自棄になり、ジョッキのビールを飲み干す。「はるか、大地へ」論議は、店を出る直前まで続いた。


 小牧は寮に戻ると、パソコンを立ち上げ、インターネットで検索を掛ける。吹奏楽コンクール課題曲、ということで、検索結果に表示されるサイトの多くは、 吹奏楽団のコンクール記録や定期演奏会の曲目、あとは文中に「はるか」や「大地」を使っている小説である。今ひとつ的を射る結果でない事に焦りを感じつつ、 100件ぐらい見て、息抜きにコーヒーを飲む。次の検索結果を見たところ、某巨大掲示板のキャッシュに目が行く。

(ん? この曲に歌詞があるのか?)

 小牧は考える間もなく、そのページを表示する。

「はるかなもりの 夕闇空おもく」

 書かれているのはこれだけだが、イントロの後のメロディーラインに合わせて歌うと、晴れた大地ではなさそう、ということが明確になる。更に検索を掛けると、 愛知県の市民吹奏楽団のデーターベースにもヒットした。それによると、「タイトルの通り『自ら進んで開けゆく』という心の問題がモチーフであり、 自然に続いていく場面展開が特徴」とある。

(心の問題をモチーフにした作品なのかぁ)

 妙に納得した小牧は、調べたことをまとめ、次の選曲委員会に備えて、資料を印刷し、音源も用意した。


 次の練習日、選曲委員会の面々が再度集まり、前回の続きを話し合う。まず、音源を聴き、続いて、小牧は予め作成した資料を渡し、先日の深沢との話を交えて、 秋津、品川、豊岡の三人に説明をする。

「なるほど。厳しい大地に自ら進んでいく、と受け止められますね」

「厳しい大地は心の大地であって、自ら進むことで、自己を開けてゆく、という訳かぁ」

 品川の意見に、豊岡も続く。作曲者が言う「大地」は心の大地……そのことを指揮者に伝えれば良いのか。話がまとまろうとしたところに、

「そういえば、内海が作曲者の地元ではないか、と言っていたのですが」

小牧が付け足すように話す。

「それはどうかねぇ~」

 小牧、いや、内海の愚問に、委員会の面々は小一時間ほど意見を交わす。論議して行き着いたのは、大地はどこの大地であっても良く、作曲者が曲に託した壮大さと、 自己と大地への旅立ちを表現出来れば、それで良いのでは……だった。

「ただし、今になって1996年の課題曲の楽譜が入手出来るか分からないから、楽譜を入手できたら演奏、ということで」

 秋津の言葉に、課題曲だから2曲セットじゃないのか? 小牧は思うが、自分たちが演奏した課題曲は別のセットであり、確かに、今頃になって入手出来るのか分からない。 言い出したのは自分だから、場合によっては自分が楽譜探しを担当することになるだろう、と思いながら、小牧は会議室を出る。

「一生懸命調べた甲斐があったね」

 会議室を出たところで、小牧は品川から声を掛けられる。品川に好意を寄せていただけに、彼女の方から声が掛かったことに、小牧は照れ隠しをしながら、品川と話を続けた。


    ***


「結局、その曲は演奏したの?」

 木々が並ぶ中に、熊笹で視界を遮られつつも開けた大地が見える中、利緖は結論を聞いてくる。

「うん。吹奏楽連盟の事務局に在庫があって、それを購入で一件落着」

 ただ、希望にとって、楽譜の入手が出来た事で新たな懸念事項が出来た。楽譜を渡されたのが、うつ病治療による休職中で、社内吹奏楽団も休団中。おまけに、 曲中で重要なメロディーラインのソロを任される。復団したのは定期演奏会本番の1ヶ月前で、パートリーダーの真意を図りかねたが、同じパートで後輩の宮浦が言うには、 音色の変化で希望の心の状態を見抜き、希望がソロを吹くことで、見失った心の大地を振り返って、新たに進む大地を見付けて歩んで欲しい、とのことだった。 希望の話を聴いた利緖は、今見える大地を見てどう感じたのか尋ねる。

「大地を『荒大な大地』と捉えるのなら、今のところがイメージしやすいね。そうだ、その曲が入っているMD、今持っているから、実際に聴いてみる?」

 唐突な希望の提案に圧倒されつつも、利緖は言われるままに希望からポータブルMDプレイヤーを借り、「はるか、大地へ」を聴く。その間、希望は窓の外に目をやり、 論議した4年前を思い返す。

 曲を聴き終えた利緖から呼ばれた希望は、利緖に感想を聞く。単純に「大地」と言われたら富良野などが思い浮かぶが、激しい曲想の部分は「荒大な大地」とも受け止められる。 フルートとサックスが奏でる甘美なメロディー以外は、全体的に重い感じだから、明るい大地ではないだろう。先に出て来た歌詞も重い感じ……粗方予想していた答えが返ってきた。

「でも、スコアの解説には、『タイトルそのままに、自ら進んで開けてゆくという、心の問題を音楽にしています』としか書かれていなくて、実際の場所にとらわれず、 演奏者の心の中の大地を進んで行くのでは、という結論になった、というオチ」

 希望は行きつけの吹奏楽サイトの掲示板で同じことを談義しており、そのオチになったことで撃沈したことも、付け加える。

「それだと、人によって『心の中の大地』の捉え方も違うから、余計、イメージしにくいんじゃない」

「それは指揮者も悩んでいたみたい。私みたいに、心を病んで苦しんでいた人がいる一方で、常に前向きに生きて苦労を感じていない人もいるから」

 初めて聴いた割には、的確な意見を述べる利緖に、結婚を約束した恋人が遺した言葉が重くのしかかり、自分にとっては具体的な場所を言われた方がイメージしやすく、 楽だったかも、と希望も意見を述べる。「恋人が遺した言葉」に心当たりがあったのか、利緖は何かを思い出す様相を見せた。

「4年前のフォローアップのとき、希望が聞いてきた言葉って、このことなんだ」

「あなた、覚えていたんだ」

 運転士として単独乗務になってから先も、定期的に運転動作確認を含めたフォローアップが行われるのだが、多摩川高速鉄道では、教導運転士の他に、 添乗指導資格のある指導主任……メンタルフォロー担当の多摩川高速鉄道独自の役職……も担当する。希望が運転士になってからの指導主任による指導は、 なぜか利緖が担当することが多く、それとなく、直感で感じるものを尋ねたのが「自ら進んで開けゆく」であった。

「職場唯一の女性だと、やっぱり意識するからね。それに、そのときには既に希望に想いを寄せていたし。男性社員からだったら忘れていると思う」

 今さっきまでの話と脈絡がない、と思いつつも、

「やっぱりそうなるかぁ。でも、他の同僚から個人的にアプローチされたことって無かったから、それは意外だったけど」

希望も思ったことを話す。

「希望は職場では完璧主義で、近寄りがたい部分があるから」

「ちょっと、それ、どういう意味よ」

 彼女の口癖は、問い詰めるものではなく、突っ込みの言葉。当然、満面の笑みでの突っ込みだ。他の同僚が希望に対して、個人的にアプローチをしなかったのは、 職場では完璧主義以前に、希望が「副区長の娘」と言うのがある。後に結婚相手となる利緖とも、初めて面と向かったのが、車掌時代に多摩高本牧駅のエンド交換で言い合った時なので、 個人的なアプローチではない。父親の道生に知られたら最後、区長に筒抜け。それでも、区内恋愛の二人が婚約するまでは内密にしてくれたが、それ以外は、 希望たちより先に道生が報告しており、区長と話をする度に撃沈した。

 一頻り笑うと、希望は、

「それでね、この曲の英訳、壮大なミスプリがあって」

半ば強引に話を戻す。

「壮大なミスプリって?」

 利緖の問いに、楽譜のカバーとスコアには「Far Away, Through a Vast Land」 とあるのに、パート譜は全て「Land」が「Rord」になっており、パンフレット作成時に、 どちらが正しいのか、と論議したことを話す。

「曲を聴いた限りでは、『Land』だと思うよ。それに、日本語のタイトルに『道』という要素がないし」

「やっぱり、『Land』と思うよね。吹奏楽は『詞』が入らないから、実際に曲を聴いてタイトルに込められたものを感じ取らないと、間違った解釈をするからね。 そういう意味でも、作曲家って凄いなぁ、と思うよ」

 歌詞に限らず、詩や小説などの文章は「言葉」という形で残るから、的外れなことでなければ、メッセージを伝えるのは容易である。絵画もイメージしすいため、 画家のメッセージを読み取りやすい。そのため、「言葉」の入らない音楽で、メッセージを的確に伝えるのには、豊かな感性と、 感性を研ぎ澄ませて集めたものを音符にする才能が必要となる。また、イメージを関連づける曲名も、感性がなければ的確に付けられない。極端な話、 「吹奏楽のための序曲」だけだと、作曲者が意図するものが全く見えない。実際にそういう曲があるので、指揮者と演奏者は泣かされる。

 話しながら希望は利緖の表情を見ると、自分はマニアックな話をしているのではないか、と気付く。マニアックな話をするなら、相手は内海や宮浦だ。

「どっちにしても、あなたが持つ感性と、私が持つ感性が一緒、というのは間違いないから、出会うべくして出会った縁だね」

 希望のフォローに、

「そうだね。僕も希望に出会えて幸せだよ」

利緖は微笑みを浮かべる。

「ありがとう、あなた。私も幸せ」

 お互いに愛を囁き、人目を盗んで軽くキスを交わす。マニアックにならない程度の吹奏楽話に華を咲かせているうちにも、車窓には民家が並び、函館到着が間近なことを知らせる。 荷棚に載せた旅行鞄を下ろし、希望と利緖は他の乗客に続いて、函館駅のホームに降り立った。